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正誤表

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『日本だけが「悪の中華思想」を撥ね退けた』(ヘンリー・S・ストークス著)の記述に下記の誤りがありました。

【誤字】
・73ページ15行目、16行目
 「群」は「郡」の誤りです。
・85ページ12行目
 「粛正」は「粛清」の誤りです。
・85ページ14行目
 「人工」は「人口」の誤りです。
・89ページ14行目
 「単干」は「単于」(ぜんう)の誤りです。
・94ページ11行目
 「神宮皇后」は「神功皇后」の誤りです。
・107ページ7行目
 「覇権」は「派遣」の誤りです。
・144ページ1行目
 「法衣」(ほうえ)は「法会」(ほうえ)の誤りです。
・144ページ13行目と146ページ1行目
 「掘田」は「堀田」の誤りです。
・153ページ8行目
 「講話」は「講和」の誤りです。
・157ページ7行目
 「疎開」は「租界」の誤りです。
・179ページ13行目
 「形成」は「形勢」の誤りです。
・185ページ6行目、7行目、8行目
 「実行支配」は「実効支配」の誤りです。

【事実誤記】
・87ページ3行目~5行目
 「五七(建武中元二)年に後漢の光武帝が奴国の卑弥呼に授けたものとされるが、実は、諸葛孔明が死去したことが、卑弥呼が金印を授与された遠因とされる」
 →魏志倭人伝によれば、卑弥呼が授けられたのは「親魏倭王」の印であり、志賀島で発見された金印とは別のものです。
・95ページ1行目
 「香椎宮(福岡・博多にあった)」
 →香椎宮の現在の所在地は福岡市東区香椎ですが、この場所が歴史的に「博多」と呼ばれた地域に属したことはありません。
・112ページ2行目~3行目
 「六六一年、斉明天皇は九州へ出兵する途中に、津に立ち寄られ、そこで崩御あそばされた」
 →熟田津(現在の愛媛県松山市付近)と那の津(現在の福岡県福岡市)を経由し、筑紫国朝倉宮(現在の福岡県朝倉市)で崩御されたとされています。
・141ページ12行目~13行目
 「樺太については、黒竜江の対岸のラッカ付近まで日本領として我国が統治することとなった」
 →日露和親条約において、樺太の国境は定められず、日露混住の地とされました。

訂正のうえ、お詫び申し上げます。
各誤りは重版時に修正いたします。

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『ノーベル賞受賞日本人科学者21人 こころに響く言葉』(竹内 薫著)の記述に下記の誤りがありました。

・211ページ7行目
 「梶田英一先生」は「根岸英一先生」の誤りです。

訂正のうえ、お詫び申し上げます。
各誤りは重版時に修正いたします。

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『MaaSをめぐる冒険』(結川 昌憲著)の記述に下記の誤りがありました。

・8ページ5~6行目ならびに注釈
 「NAVITAIME(ナビタイム)」は「NAVITIME(ナビタイム)」の誤りです。

訂正のうえ、お詫び申し上げます。
各誤りは重版時に修正いたします。

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『日本人が知るべき東アジアの地政学』(茂木 誠著)
の記述に下記の誤りがありました。

・113ページ1行目
 「呂は、それぞれの地域で」は「呂は失脚し、米ソがそれぞれの地域で」の誤りです。

訂正のうえ、お詫び申し上げます。
各誤りは重版時に修正いたします。

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『フツーの人がやるべき 最新 相続対策』(大村 大次郎著)
の記述に下記の誤りがありました。

・31ページ最終行
 「4ヶ月以内」は「3ヶ月以内」、
・同じく31ページ最終行
 「178ページ」は「180ページ」の、それぞれ誤りです。

訂正のうえ、お詫び申し上げます。
各誤りは重版時に修正いたします。

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54ページ2行目
 「固定相場制」は「変動相場制」、
・176ページ8行目
 「673億円」は「673兆円」の、それぞれ誤りです。

訂正のうえ、お詫び申し上げます。
各誤りは重版時に修正いたします。

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『日本国憲法は日本人の恥である』の本文に誤りがございました。
下記のように訂正のうえ、お詫び申し上げます。

・P37 最後の行の「無条件」をトル
・P44 後ろから8行目の下の段
     中心の下に「と」を加える
・P69 5行目上の段 
     「おける」を「よる」に変える
・P81 後ろから2行目の上の段
     用意すべだ → 用意すべきだ に変える
・P90 8行目。
     「支持」を「指示」に変える
・P196 13行〜14行 
     「ウォーキング」を「ワーキング」に変える

以上の誤記についてお詫び申し上げます。
今後、重版時に訂正いたします

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・25ページ11行目の「外部」は「外聞」の誤りです。

・39ぺージ8行目の「古森義久氏」のルビが「ふるもりよしひさ」となっていますが、「こもりよしひさ」の誤りです。

・100ページ13行目の「フレックス・シェルジンスキー」は「フェリックス・ジェルジンスキー」の誤りです。

・185ページ2行目の「けんとうせざるをえなくなっている」は「検討せざるをえなくなっている」の誤りです。

・189ページの本文3行目、同10行目、190ページ2行目の「への軍事攻撃」は「との戦争」の誤りです。

・212ページ15行目の「西イスラエル」は「西エルサレム」の誤りです。

・216ページ1行目の「シー・ケネンが」の後ろに「成立した」を挿入します。

・235ページ12行目の「大臣」は「長官」の誤りです。

・236ページ5行目の「共和党」は「民主党」の誤りです。

以上の誤記について謹んでお詫び申し上げるとともに、重版分で訂正いたします(編集部)。

 

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訂正とお詫び

『足立無双の逆襲~永田町アホばか列伝Ⅱ』の本文232ページ1~2行目「立憲飲酒等」という表記がありますが、これは「立憲民主党」の入力、変換ミスです。
謹んでお詫び申し上げるとともに、重版分で訂正いたします(編集部)。

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『元号 全247総覧』(山本博文編著)
の記述に下記の誤りがありました。
訂正して、お詫び申し上げます。

・P95           9行目 ×二十年後→〇四十四年後
・P101 安和の項     6行目 ×藤原師輔の長男→〇藤原師輔の弟
・P108 永祚の項     2行目 ×『宗書』→〇『宋書』
・P110 正暦の項     3行目 ×正暦十一月→〇正暦元年十一月
・P151 天承の項     6行目 ×源頼朝→〇源義家
・P152 保延の項     3行目 ×「疾疾・飢饉に依る也」→〇「疾疫・飢饉に依る也」
・P153 永治の項     2行目 ×勘申者は(権中納言)→〇勘申者は藤原実光(権中納言)
・P181           3行目 
×基成・泰衡→〇泰衡
               4行目 ×基成・泰衡→〇泰衡

・P193 承元の項    7行目 ×後鳥羽天皇が→〇土御門天皇が後鳥羽上皇の

・P197          13~14行目 ×承元→〇承久 
                      ×(1209年8月16日)→〇(1221年8月4日)
                     ×(8月21日)→〇(8月9日) 
                      ×(8月29日)→〇(8月17日)
・P207          12行目 ×鳥羽法皇→〇後鳥羽上皇
・P311 元禄の項      2行目   ×東山天皇の譲位→〇東山天皇の即位
・P344
  近・現代編 行目 ×1902~1903→〇1904~1905
・P353                    8行目 ×山形有朋→〇山縣有朋

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